逸楽

さて昨日の代数学のテストが終わり、8/5から夏休み。

代数のテストの結果はやらかしました。根αのベクトル表示を求める問題の途中で計算ミスをして大門を丸々落としたのが敗因。8月後半に追試があるので、そこで挽回するしかない。。。

 

まあそれはさておき、今年も相変わらず初日は、昼起きでそこからネットサーフィンで時間を無駄に浪費することから始まりました。3年次にはゼミ配属があるので、この夏で何かしらの実績を作っておくべきなのですが、何も特技のない私はどうすればいいのでしょうか。学科内での成績は下の中ぐらいだろうし、何かしら優れている面がなければ、「希望するゼミに行けない」という現実が私の目の前でどっしりと構えてはいるけど、それを見ないように下を歩くことしかできない。でもなぜでしょう。夏ってなんでもできる全能感が体内を駆け巡る季節だから好きなのです。実際には何もできずに夏は過ぎ去っていくのだけれども。季節の話だと、何かの記事で四季ではなく二季?になるって見てちょっと悲しくなってます。あと地元の花火大会が今年再開すると思っていたらないらしくそれでも悲しくなってます。まぁ二季になったら春と秋が消えると思うので、夏の花火は今後も見れるからいいか()。

 

そしたら次は大学の生活の話をします。いつも大学では自分を含めて4人で行動してます。帰りにラーメンとかラーメンとかラーメンを食べに行ったり、カラオケに行ったり、課題を教えあったりと普通の友人です。だけど長期休暇に入った瞬間私は彼らに連絡することはなくなります。こうなった瞬間に、私の中で彼らはビジネス友達としか見ていないということを身に染みて分かるのが心に除草剤を撒かれて枯れてしまいそうになる。でもこうなることで自分の時間を奪われることがないので安堵感を感じてもいる。本当に私は自己中だし、矛盾しかない。うーん、人間関係下手くそなのかなぁ。やだな。

 

この手の話題で、自分の感情をコントロールできなくなった気がする。友達が日本政治について話してきたことがあり(そもそもそういう話を振らないでくれと内心では思ってる)、その時にむかついたが言い返すことができなくて、無視することしかできなかった。そして向こう側の話が終わったときに両耳にイヤホンをぶっ刺して音楽を聴いてしまった(4人で帰ってたからその子は別の2人と会話してた)。冷静になったときに、なんであんな行動をとっちゃったんだろうと、脳内自己反省会が開かれた。でもまた同じ行動をとることしかできない気がする。私は自身を常人だと思っているから精神科とかには通いたくないのだけれども、実際通ったら異常者判定を食らうのかな。そもそも何が常人判定なのか自分でも定義できてないけど、常人 > 異常者っている感覚だけ持ってるからこういう思考になるんだろうな。この間秋葉に行ったときも、これに近しい?いやこのような思考をしていたな。pcショップ巡りでデバイス見まくってる変人って自称はできるけど、他人にそういわれると嫌になる。自分ってめんどくさい人間だなこりゃ。

 

YouTubeで音楽を聴くと、再生回数と高評価数でその曲の印象が変わる気がするので嫌い。音楽に限らず、芸術作品は作者に影響されるべきものではないと頭では思ってはいても、実際これらの数字を見て、評価されているもののほうが優れているという感覚を抱くのは塵だと思う。まぁ、でもどの作品を見るにしても作者の名前を見るしかないので、これを解消するのは難しい気はするが(Spotifyとかでランダム再生すればいいのかも)。

 

てか、ブログを一つの事について書くことができない。書いているとすぐに他の話題がポンポンと飛び跳ねてくるせいで。ここまでで1535文字か。読書感想文とか、非核平和作文を書くときはとても苦労したけど、くだらないことを書くとすぐに原稿用紙4枚分くらいにはなるのなぁぜなぁぜ。もう主題がなんなのかわからないけど、気持ちよくなれたので終わろうと思います。添削なんかしない。

近況報告(7月)

線形代数から始まり代数学で終わるテスト週間もほぼ終わり

 

「想像で世界を変えてお願い一つでいいから」「なんでもない明日に笑いが止まらない少年少女」この歌詞が好きです。結局自分が自分を信じられなければ何もできないのだ。そして体が老いようとも心いつまでも少年少女でなければならない。(ヨルシカとカンザキイオリしか聞かないのはまじで良くないなと思っている。断食ならぬ断聴?するしかないのかも)

 

同じ曲を聴き続けるとドーパミン?がだんだん減ってくるのを感じる。だけど、新曲はキマるレベルで分泌される曲もあれば、全くないものもあってそれがストレスではある。でもそれで漁るのをやめたらおしまい。

 

俺らの時代は〜と言う人間にはなりたくない。梅原大吾氏が「人間は肉体に脂肪がつくがそれは精神にも起こりうる」と言っていて納得した。

 

今日は秋葉原に行きました。久しぶりでした。

パソコンやデバイスを見るのはとても楽しいね。その他にもアニメイトメロンブックスといまだにならないし、知らない世界を見ました。色々な人がいますね。カードゲームとかフィギアとかメイドカフェの呼び子さんとか。可愛いのに雑用なのはなんでって思う。厳しい世界なのかも。

 

そういえばZETAがChampions出場決まりましたね。とても嬉しい。左利きのマウスがないので、右利きに矯正しようと思う。

 

最近のカラオケの結果

下手くそ

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アニメイト

僕やば良かったな。斜陽も流れてた

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大切に使っていこうと思いまする

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お久しぶりです

やっとテスト期間が終わりました。今回のテスト期間は数学3科目構成だったのでからかった。その中で2科目が簡単だったので最後も簡単だろと安直に考え対策を怠った結果、爆発四散しました。

 

今やるべきことは大学での勉強。やりたいことは音楽(ピアノ)、ゲーム(VALORANT)、競プロ。実はこれ高校の時から変わってない。なのにやってない。「やりたいって言ったのにやらない死にたいって言ったのにしなない クズはクズのままダメなやつはダメなまま」(カンザキイオリ ハグ)

 

最近のお気に入りの歌詞は「価値観だって自由なら人を傷つけていいだろ」と「この世は全部主観なんだから」と「人生ごとマシンガン消し飛ばしてもっと」(ヨルシカ 神様のダンス、レプリカント、夜紛い)。

 

都内では様々な内容のデモが起こっていて興味深い。差別をなくす為に新たな価値観や物の見方をする人に札を貼り、分類しようとする(セカオワのハビットみたいだ)。この行動自体が差別では?と思ってしまう。普通の人間なんていないのだ。自分の主観や価値観を普通と思ってるだけで、まともな人間、真面目な人間なんて存在しない。またこんな考えを外で述べていたら、ただの変人扱いされるが、芸術として音楽として本とすると新たな意味を持ち共感される世の中であることも面白い。

 

結局この文章も聴いた音楽の歌詞の引用にすぎない。アーティストに対して人間性や考えは求めないと思っていても自然とその思想に飲まれているのかもしれなぁと考えたりもする。

 

何が言いたくて書きたい?と思うかもしれないが、自分でもよく分かってない。でも書くと宣言してしまったし書くことが苦痛でもないので書く。また

 

 

 

 

矛盾

ブログってやっぱり何書きゃいいのだろうか。

継続的に書くなら日記や近況報告系がいいんだろうけど、学校行って課題やってゲームして寝て起きるっていうサイクルしかやれない僕がこれらを書くことは厳しいなと感じてる。でもブログは書きたいという葛藤?ジレンマ?が生まれている。

 

だけど、このまま何も書かずにいたら今までと同じなので今回は、僕の過去について振り返ってみようの会です。(誰得)

 

これに入る前に、最近自分の心に置いている考えは「意味があるないとか将来に役に立つ立たないっていうのを行動に起こす前に決断するな」ってこと。要はやってもない事柄に対して結論を出すなということ。ゲームで例えると、プロゲーマーになる程の実力も熱量もないのに何でやっているんだろう。また友人関係でいうなら、どうせ数年後には誰とも関わることもなくなるのに、どうして自分を殺して等身大以上に繕って見栄を張って関わっているんだろうとかである。

このような短絡的かつ阿呆すぎる考えを持ってしまうのは、自分の中の価値観の支柱が他人から良い評価を受けることになっているからだと思う。教養としての常識とマナーと、自分が持っていい価値観を混同させているからこういうことが起きちゃうんだろうねー。精神年齢が実年齢-4ぐらいだから、今頃こんなことで悩んでる。普通であれば高校生くらいで自立して価値観とか生き方とかも構築させていくはずだろうに。なにをしてんだろうか僕は。このままだと愚痴吐き会になっちゃうので、本題に入ろうと思う。

 

どこから戻って話そうか迷うが、記憶に残っているのは幼稚園の年少年中あたりなのでそこから書いていく。

幼稚園

記憶に残っていると書いたが、正直なところ曖昧過ぎる記憶しかない。確実なことでいうなら、年中でピアノを始めたということが挙げられる。このピアノは中学3年まで続いた。(実際は高2までやってはいたが、碌に練習などせずレッスンで練習する形になっていた)ちりつもができない僕の人生の中では最も長く続いた物事である。あと友人に戦闘という文字を教えてもらっていたことくらいである(本人の承諾を得たら載せるかも?)

幼稚園時代はこれくらい

 

小学校

自我を出しまくってた時期。ドッヂボールでアウトかそうでないかとかで友達と喧嘩をよくしていた。今思うとくだらなさすぎるが、楽しかったなぁ。

 

中学校

部活のバスケに明け暮れる日々だった。顧問に対して暴言を吐いてしまったことに関しては猛省している。生意気ですみませんでした。合唱祭では合唱をしたいと3年間言い続けたけど、伴奏を3年間続けて良かったと思ってる。高校より中学の記憶の方が鮮明なので、やはり楽しかったんだろう。小学校の同級生がほぼ持ち上がりだったっていうのも大きい。

 

高校

Guiano - Nobody(feat.IA) 

うーん、自分自身や他人、勉強に関しても何も考えずに過ごし日々を浪費してしまったのがいけない。良かった点を苦し紛れに挙げるとすると高校受験後にスマホを買い与えてもらえ、Spotifyで色々な音楽に触れ合えたこと。

 

これくらいかな

 

ちょっとあまりにも自分が人間なのかすら怪しいことが明らかになってるし、大層なことを述べたかった気がするが、忘れてしまった。

文章の添削とかし始めると、いつになっても完成しないだろうし未完成のまま投稿

ブロガーとライブ

インスタグラマーは略してグラマーである。

 

考えたことや思ったことを寝たら忘れてる。という感じて生きてきたけど、いい機会もあったのでどうでもよくくだらないことをここに書くことにした。

 

最近の出来事は2つのライブに行ったこと。

1.カンザキイオリ 2nd ONE-MAN LIVE「別れなど、少年少女に恐れなし」(5/1(月) LIQUIDROOM)

2.ヨルシカ LIVE TOUR 2023「月と猫のダンス」(5/12(金)東京国際フォーラム)

 

そもそもアーティストが異なるから感想をまとめるものおかしい気がするが、まとめちゃう。

まず、歌手は歌がうまいと本当に思った。当たり前ではあるけど、会場の雰囲気を変え、飲み込むような歌声をしていて本当に感動した。それと目の前でギターやドラムなどの楽器を弾いている姿を見ていて、音楽っていいなということを再実感した。

 

歌がうまい人は音同士のつながりが滑らかで、息継ぎすら気持ちがいい。

楽譜に縛られていないで、音を操ってる感じがとても好き。

それに感情をのせていて、cd音源とかよりすって感じて体を通る不思議な感覚がある。

 

それと同時に「歌がうまい人はカラオケの点数も高い人であるけど、カラオケの点数が高い人は歌がうまい訳ではない。」ってことを突き付けられたなぁって気がした。

自分は歌手になりたいという願望はないが、この歌声を天性の才能ってことで片付けようとするって考えで流そうとする自分が嫌い。

 

このまま終わると自己嫌悪野郎になっちゃうので、、、

やはり音楽は最高だし、このようなライブをまた行きたいと思う。

カンザキイオリのヨルシカカバーが楽しみ!!!