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就活に関するイベントの参加も3回目になった。ここで学んだことといえば、就活なんてゴミで、ガクチカなんてあるわけ無いだろうということである。
これに似た感覚を以前受けたことを思い出した。そう、高校の学校説明会である。
なぜ、大学の説明会ではないの?という質問には黙秘させていただきたい。故に、このような将来に関する思考を強制的に行わさせられる環境に身を置かれるのが久しぶりであった。
受講中 教壇者が放つ言葉が、マシンガンのように飛び、それが足に刺さり、倒れ、前を向くことができなくなった感覚を味わった。
というか、今までの人生で何も成せず、敷かれたレール(この表現見たことありすぎて他のものにしたいけど、思いつかない)を歩んできた私。学ぶ気がなく何もできないが「大学生」という立場を親の金を浪費させて居座っている。これが現在の一時的な終着駅である。しかしここにはあと2年しか停車ができない。それは分かっている、分かっているが、、、現状から先に進む気が起きない。
なんだよガクチカって。死語になれ。
でも今日は楽しかった。
いつの間にかスマホで起動しているTwitterを見ていると、ヨルシカ垢の投稿で後書きのコラムが追加されているという情報を目にした。コラムの通知は来ないらしいので、珍しくTwitterが役に立った出来事であった。本当は一単語ずつ、いや一文ずつ引用してそれに対しての感想を事細かく書きたいが、それは駄目だから、、、 悲しいね。
まぁともかくヨルシカ垢の人(数人しか見ていない)は落胆やショックという投稿がなされていた。俺は○○○○○と思った。
中には次の事柄に該当しない人がいるのも知っている。だが言わせてほしい。
「どうせ、その垢の存在意義はヨルシカ好きという要素を餌に他人からの共感を得たい自己承認欲求から成り立っているんだろ?」*1
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文章を読み直している。
まぁでも他人と関係を築くには、何かしらの共通点があったほうがいいだろうし。これは*1、ブーメラン発言でもある。
俺の中での願望だが、n-bunaとsuisは○○人間であってほしい。なんでかは言語化できない。ヨルシカ盲目信者なので活動とかもろもろ全肯定であるから、憂いとか嫉妬からくるものではないし。なんなんだろうね。
なんかもうちょっと書きたいことがあった気がしたが、急に手が止まってしまったので、さようなら。