見知らぬ地へどうか飛ばしてくれ

高校の担任がホームルームなどで話す話の雛形として、「〇〇という人が言った〇〇という言葉にあるように」がある。僕はその先生のことは嫌いではないし、むしろ少し好きだった。若い先生で歳が近かったから勝手に親近感を抱いていたせいかもしれないとか今になって考える。

 

そしてこの引用構文を聞くうちに、僕はこいつには自分の言語がないのか?と思うようになった。持論だが、言語いや言葉は辞書のように白紙の上に黒で書かれているいわば中立といえばいいのだろうか。何の背景も持たずバイアスもかかっていない綺麗なものという認識をしている。しかし、そこに対して何らかしらの地位を持った人間が言葉を放つことで、その言葉に背景や色が追加されてもそれを受け取る人間はその言葉の持つ意味以上もしくはそれを凌駕する事柄と認識すると思う。だからいつかは自分も独自の言葉のような言葉を自分で操る側になりたいと思うのと同時に、先生のようにはなりたくないと思った。

 

そして高校を卒業して、なんとなく大学に進学した。最近は学校に行く気も起きず、起きているのに7時間布団の中で過ごしサボるという他人に叱咤されても文句を垂れることはできない人間である。数日はn-bunaの曲を適当に漁り過ごしている。ここで思った。結局自分も歌詞を都合よく解釈し、気持ちよくなり生きているだけだと。先生と同じであると。バイトもしない勉強もしない。何もしないで、何をすればいいんだ。