間違ってないよな?これは自分だけの言葉だよな?

労働とは労働力を売り、対価をもらうものではない。心を売り、対価をもらうのだ。それによって少しずつ変わっていく自分が怖い。心を全て売って、残ったものこそが本物なのか。

 

数直線の0と1の間にいて、1の方が0より大きいのだがら、1の方向に進むべきだという研修というなの洗脳を受けて続けている。人と比べないと自分の位置と進んでいる方向が分からないってのは苦な話だ。

 

親しい友人たちと会う機会があった。中学高校大学それぞれの友人たちだ。過去の行動の結果が今の関係になっているわけだが、当時どんなふうに立ち回っていたのかは思い出せない。そんなもんでいいか。相手のことを全てわかっていたわけではないが、ここ数年のライフスタイルの変化から、より相手のことがわからないのは、もう戻れない分岐を過ぎてしまったのだと嫌でも気付かされた。その事実だけが、ただ道端に転がっている。今後あるのは、だんだん蜃気楼が濃くなり、互いに想像すらできなくなることだけなのかもしれない。それはただただ残酷である。

 

なんか暗い話になっちゃった。こんなことを書きたかったわけじゃない。ここ数ヶ月で疲弊した何かが、少し元通りに戻った感覚があったことに感謝がしたかった。友人たちに加えて、家族にも。生きているというより、生かされている。「また頑張るよ」とは強く言えないけど、救われた。ありがとう。

 

新しいことを始めるもの苦痛だけど、惰性だろうと続けたものをやめるのも苦痛。減らすことが今の俺には必要なのかもなー

麻痺・慣れ・適応(今のままではいけない)

あーうるせぇ 喉まで出かかった言いたいことを再度飲み込むことが、一番のストレス。言いたいことくらい言わせろ。

  • 今いる環境で麻痺して死んでるくせに、慣れたと言い、あたかも適応したフリをしてる奴
  • 行動と選択の主軸が外部にある奴
  • 頭では分かってるが口癖の奴
  • そこから何も派生させない奴
  • いつまでも己を想像で縛り続ける奴
  • それでいて自身にさえ情けをかけ、とどめを刺せない奴
  • 考えの基盤が緩い奴
  • 周りに同調して棘と杭を出さないだけで生きていける世界
  • 周りを簡単に信じる奴
  • 自己犠牲を元に他人に優しくし、見返りを勝手に求める奴
  • それに気づいている癖に変わらない奴
  • 金がない奴
  • 金を稼ぐ目的がない奴
  • 金を稼ぐ手段に固執してる奴
  • 言語化とかいう吐き気がするほど浅い単語表現
  • 新しいことを拒絶する奴
  • 自己を理解してない奴
  • 時間に拘束される生活
  • 行動がとろい奴
  • 好きな曲の理由の最初に歌詞に共感したからと答える奴
  • 唯一になりたい癖に、n番煎じになる恐怖心から何もしない奴
  • 周りからどう思われるかで判断する奴
  • とりあえずAIをつけておけば良いという風習
  • AIに呑まれてる奴

 

朝目が覚めると眼前に広がるのは、真新しい風景である。私がここに存在していることだけがおかしい。今回のブログは、近況報告と頭の中のお話。

 

脳内に浮かぶのは2つ「麻痺・慣れ・適応」と「慣れていないことをしている」 すべての行動の応答で、「慣れないことをしているな」ともう一人の自分から言われる。すべての選択を外部に任せ、与えられた受動コミュニティ内で棘と杭を出さないようにという指針のもと行動し、生きてきた。それが私の根底そのものだから。故に、そのコミュニティが揮発すれば、私は判断と決断をすることができない。それを急に自己完結しなければならなくなったせいである。

 

慣れるという単語がある。これは、善悪の両方の意味を持つ、大層使い勝手の良い単語である。慣れの悪は麻痺であり、善は適応である。今いる環境に対する違和感も感情も、いずれ何も感じなくなる。それは普通にいえば慣れで、悪くいえば感性をあらぬ方向に捻じ曲げられ、麻痺し、今いるこの場所それを取り巻く環境、私の考えと判断は正しいのかという問いを投げかけることさえなくなる。

生きるためには、金が必要。だから、ここに存在しなければならない。そんなクソみたいな落ちどころをつけ、自身を騙し、金を生み出すためだけにすべての時間と感情を捨て、麻痺したまま生きる。そうなるくらいなら、適応できないという結果を受領できる人間になりたい。偽りの想像で自身を十字架に永遠に括り付けるくらいなら、適応できなくていい。そうなりたい。

 

「好きな曲の理由の最初に歌詞に共感したからと答える奴」が嫌いだと書いたが、聴くアーティストの大抵が歌詞の重要度が高い。もしかすると、言語に多少の興味はあるのかもしれないと思い始めた。

「砂場に子供らの神話体系 その一粒ごと神は宿って」「心を言葉で話しても砂のお城みたいでしょう」砂の一粒一粒がある意味を持ち、それを固めたものが、その人の言語体系。砂のお城みたいに取り繕ったものを見せる必要はないが、それがその人自身。

メロが気に入れば、あとは音程がある程度取れる人が歌っていれば、たぶん誰が歌っていてもその曲が好きになる。だからボカロも許容できた。

あなたは今幸せですか()

私は私の想像の範疇を越えることはない。想像できないことを言葉にすることはできない。大抵は何も感じないから、何もできない。頭の中でイメージできる領域には限りがあって、その境界上内までが把握できて、その範囲外は何も理解はできない。共感もできない。想像を越えることはない。届かないものを想像できると思ってもそれは虚像か偶像紛い物かただの強がりで、地盤は緩くて浅い。だからといってこの折角の一度きりの人生なのだから、領域の範囲を広げる様に努めるべきだなどというつもりもない。これが最近気づいたこと。だからこのブログももちろんその想像の範囲で、誰かの言葉、どっかで見た表現をただ羅列するだけ。意味なんてものはないし、なんで書いているのかすらわかってない。曖昧。もう曖昧である方がいい。同じ単語ばかり汚く並べて 並べて 吐き出して 散らかして、ただ過ごす。これだけではないのかもしれないが、今はこれだけができればいい。どの程度満足なのかはわからない。それでもいい気がする。根拠もない、理由もない、表で言えるわけない。これでいい。感じた思った考えた経験した、今まで与えられた環境の中で得たことだけが本物で、それが私で、それ以上でもそれ以下でもなくて、言いたいことはこれだけで。周りはもっと早い時点で気づいているのかもしれないとも思ったけど、私にとっては最近になって気づいたことで、真実で真理で正しくて好き。だから、思ったことを書かないと脳内で揮発して消えてちゃうのは、もったないなくて寂しくて、心を売ることだけをしていたら今できていることがゆっくりとだんだんと慢性でできなくなるのが怖くて、そうなるなら書かないといけなくて、だからこのブログを書き続けないといけない。思った瞬間に文字に書き起こしてくれる機械が欲しい。書き起こすだけで嬉しい。

 

結局って言葉なんかよくない。「〜となると思ったわ。結局しなきゃよかったじゃん」という使い方を連想するからか、そんなことを言われた記憶はないのだが。他人からの評価と自己評価は、共存することができないのか。また二元論になりそうで、気分悪い、うまく帳尻が合う様になってるなー。うぜえ。脳裏に張り付くってなんでこの表現なんだ スポンジっぽいからか?張り付くってなんだ、焼きつくってこと?それとも何かしらに押し付けられて剥がれなくなるってこと?

 

ここまで書いて思ったけど、生かすも殺すもすべて自身なのかもしれないね。想像下に縛れているのは事実だけど、それを広げようとするも極小まで狭めて拒絶するのもその人次第。ただどちらにしても、この生きてる時間の移り変わりは普通に考えれば遅くて、映画や小説やアニメや喜劇と悲劇でもないから、進展は遅い。だから山も谷も余程のことがない限り起こり得ないから、少ししか変化しない。だから気づかない。あの映画館から出た時の非現実感。目を開いて目の前を確かに見ているはずなのに。目がまるで自分のものではない感じ。あの感覚もこないだ見たかぐや姫では感じなかったな。余裕がなかったからか。話を戻すと、得た感動の期間が短ければ消えるのも早いわけだが、ノンフィクションはそうじゃない。ただ慢性で散りに積もったものだけがそこにあるだけで、消えない。それでいうと、想像を小さくして無知の知みたいになるのはなんか悲しい?悔しい?寂しい?苦しくなる。

さようならそしてはじめまして

 これを書いている今日は4月1日。今日入社式だったのだが、あいにくの雨だった。新たに始まることに対して億劫と思う気持ちより、根拠のない全能感がどこからともなく湧き出ていた。自分だけが見えない道を歩いていた。心と体がまるで別々の場所にいて、互いを知覚していた。数日後には、この気持ちはもう忘れているだろうが、どうにか、この残り香を残したかった。

 

 大学のイツメンと別々の進路になったことは、本当に寂しい。卒業式やその前の飲み会では、対して思うこともなかったのだが、今になって急に溢れ出てきてしまった。後悔先に立たずとよく言うものだが、それは無理な話だと思う。現在おかれている地点を把握するには、これより先の場所から見通さなければならず、そんなことはできるはずもないからだ。それに対して、不変はやはり美しいから好き。何も変わらない日常と関係、環境。いつまで続くのか、いつから始まり続いているのかすら考えなくてもよい時間。小さな波にのって、同じ箇所を行ったり来たりする日々は、今思うと本当に幸せだった。ゼミに配属されてからは少なくなってしまったが、それまでは、同じ課題や試験を一夜漬けで乗り越えたり、俺が終電を逃したら、始発までカラオケで付き合ってくれたことには、感謝してもしきれない。今日で、すべての関係が終わるわけではないとは頭では理解していても、やはり寂しい。悲しい。

 長く続いた不変を失ったからこそ美しいのかもしれない。春の桜も夏の花火も瞼を閉じたその一瞬の時で輝き、失われるものは、儚く美しいと言われる。それは間違いじゃない。ただそこで感動は、それらの寿命同様短い。

 

 この3か月間は、時間を意識する必要がなかった。とても生きやすかった。これからはまた元通り、時間に縛られて生活しなければならないのは、本当に苦痛。これだけの時間を費やしたのだから、この程度は身にしなければならない。これだけの能力をつけたいのだから、このくらいの時間を消費しなければならない。これは、正直もうやめたい。これで物事が良い方向に進めばいいのだが、そうでない場合に、二元論に陥るのをやめたい。

 何かをするのに正当で、論理が破綻せず、理性的な理由を持ったほうがよいという慣習はごみでしかない。理由は後付けでしかない。逆に、最初から結末を知っていたら、その道を進むことを選択するのかという話。

 

毎日アニメ健康生活 二月末ぐらいから見たアニメ

見ることを習慣にさえしてしまえば、案外勝手に続いてくもので、楽

新しい曲も2個知れるからお得

・呪術3期

・地獄楽2期1期

・魔王の娘は優しすぎる!!

・ダンダダン

・帝乃三姉妹は案外、チョロい。

・不遇職(鑑定士)が実は最強だった。

・死亡遊戯で飯を食う。

・人外教室の人間嫌い教師

・ばっどがーる

・紫雲寺家の子供たち

・ガチアクタ

・SAKAMOTO DAYS

・真夜中ハートチューン
・ちゃんと吸えない吸血鬼ちゃん

・超かぐや姫!

・9-nine- Ruler's Crown(一話だけ見れないのはなんでなの)

・カヤちゃんはコワくない(見てる)

 

何はともあれ、ブログは書き続けるべき。

超かぐや姫!を観た

 もうそろそろで、毎日アニメ健康生活が一か月継続できそう。それと合わせて、近況報告のブログもこれとは別に書こうと思う。感想は、その当日のうちに。

 「超かぐや姫!」を映画館で観た。多くのボカロPが挿入曲を提供していて、ネトフリで独占配信されているということだけ知っていた。映画時間が、140分であったため、トイレが心配だったが、何とかなった。感想は、「うまくまとめたな」という印象を受けた。

 挿入曲でお気に入りなのは、Aqu3raの「星降る海」。物語序盤で、披露される曲なのだが、音の広がりが映画館ではより一層際立っていて、最高だった。Aqu3raの曲はなんといっても、音がきれいでとても心地が良い。水中で聞いている感覚を覚える。この曲から連想されるものとして、水鏡と月が思い浮かぶ。相反するものの力を借りてやっと存在しているのにも関わらず、それを感じさせないほど、インパクトがあり、力強くも儚くきれい。現実では、水中より陸?で聞いたほうが音がクリアに聞こえるのに、Aqu3ra楽曲は、水中のほうがクリアで迫力があるイメージがある。

 

 

以降ネタバレあり

 

 

 タイトルにある通り、竹取物語のかぐや姫が主題である。だから、多くの人が結末をもう知っているはず。だからこそ作る側は難しそうと感じた。ある程度物語の予測が立つと、それはそれで退屈になる。だからこそ、エンタメとキャラデザと音楽の割り振りを多くする必要があったのかもしれない。物語上の追加要素として、かぐやが月に帰った後、彩葉が父との制作途中だった、楽曲を完成させたことをかぐやが知り、また地球に戻ってくるときに、事故で時間を間違え、8000年前にタイムリープしてしまい、彩葉と再会するのをただ待つという展開が追加されていた。タイムリープっていまいち一週目の展開辻褄を理解できず、あやふやなまま終わらしてしまうことが多い。父が、月夜見世界とヤチヨを作ったのかと途中で思った。

 今思うと、キャラの心情描写や、背景の情報がほとんどないのなかったことが勿体なく感じるが、逐一説明するとそれはそれで蛇足で、140分で収まらないはず。だからこそ、うまくまとめたという印象を受けた。

こんばんは 2026年と3月

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 1月中旬に卒論の締切があり、それを何とか提出したことだけを覚えている。無事提出が通ると、安堵したのと同時に、急に継続してやっていたことがなくなり、新たに何かに手を付けることができなかった。ただ昼過ぎに起きて、ご飯を食べ、また寝るという生活をしていたら2月が終わっていた。家族はそれぞれ頑張っているのに、自分だけが何もせずのうのうと生活していることに跡目を感じ、「何かをしなければならない」という現実だけがあったが、何もできなかった。

 ただ、この生活とおさらばしたく、数日前からアニメを見ている。「呪術3期」「地獄楽」「ダンダダン」の3つ。目的がはっきりとしているアニメは見やすい。(戦闘シーンもめっちゃかっこいいし)涙腺が弱った気がする。回想や走馬灯、月日が早く流れる描写を見ると、それら全てを体験した気に陥る。この演出は無論好きだが、そうなる自分はなんと単純なのだろうか。

 音楽も何も聴けていない。そうこうしていたら、ヨルシカは「二人称」のトレーラー出していた。今時点で好きな曲は「うめき」「櫂」「千鳥」。速度が速い曲が好きなんです。小説も今日読み終えた。本を読まない私にとって、これは快挙なのだ。集中していないと、文章をただの文字の羅列として流してしまう。これは音読することで解決できることを知った。感想はなんか書く気にならない。