音楽の宗教性

気づいてしまった。ヨルシカに嫌いな曲がないということに。これは良いことではない。どんなアーティストに対しても好きな曲と嫌いな曲は必ずできる。なのに、こういったことが起きる。その理由は単純。ヨルシカが書いた曲という視点で見ているから。勝手にヨルシカ教に入信している。結局そういうことをしてしまう。最初は本当に曲が好きだったに違いないのに。これはもうごみでしかない。でもヨルシカを嫌いっている判定は絶対に下せない。だって、もしこの判定を下した時点で、今までのすべてが無駄になるから。ヨルシカ教の踏み絵をさせられる気分。

あぁ、気づきたくなかった。無知は恥という言葉があるが、知らぬが仏なんだよ。まぁだからって感じで終わるのが俺。結局こうなっても何も行動しないから。案外俺は幸せ者なのかもしれないな。嫌なことは寝ればすぐ忘れられるし。次の日にはこの思考も忘れてる。

 

最近流行っているのもこれなんじゃないか。曲単体で評価されているわけじゃない。今までの功績、地位から判断しているに過ぎない。違うのかもしれない。でも音楽を素の状態で楽しむなら、作詞作曲歌唱者の名前を見てはならないし、再生回数、高評価、コメントは見てはならない。これはできない。何かしらラベリングしなきゃ散らかった状態でカオス。だからラベリングは必須。

 

人生全部フィクション。

皺の増えた顔も全部フィクション。

蒼い目も叫ぶたび枯れる喉も何もかも全部フィクション。

人生はコメディ。